2009年1月29日木曜日

礼拝を聖めるイエスさま。

マルコ11:15-19  イエスさまは慈悲深く、愛に満ち溢れてお方であると我らは信じて疑わない。確かに神の性質と品性は聖である。しかし神が義であることも確かである。罪を見て見ぬふりはされないお方だ。再臨の主は怒りの姿で来られるのだ。誰一人逃げられないし口答えも赦されない。本文でのイエスの怒りはただごとではない。一人で大暴れされたと聖書は証言している。それは聖なる神の家を「強盗の巣」にしたからである。神の家は、すべての民の祈りの家でなければならない。もし会堂で金儲けしようとするなら、もし祈りの家をレストランにするなら、その人は牧師であろうと信仰深い役員であろうと生ける主は追い出してしまうであろう。礼拝とは何か、祈りと賛美とは誰に向かっての捧げ物なのかを、もう一度深く黙想しましょう。
     ハレルヤ、アーメン!    牧師 青松英明