2010年12月25日土曜日

いのちを奪う王といのちを与える王 : マタイの福音書 2:13~23

聖書の確立していない時代の啓示は夢や幻を通して与えられることが多く、この時も夢を通してヨセフに告げられました。そして、その夢を見たヨセフは夜のうちにエジプトに向かうという従順な姿勢を見せました。それは、人に笑われながらも箱舟の建造を続けたノアの中にも見られるもので、与えられた啓示を疑わず、神の時にあって実践するものは常に命と魂の救いを得ることが出来るのです。みことばはエレミヤなど預言者によって伝えられ、むなしいことはなく、従えば、それは必ず成就するものであることが見て取れます。

遺言で自らの子供さえ殺せと命じるほど、ヘロデ王は残虐の限りを尽くす悪の王でした。彼は決して人のことは信用などしませんでした。しかし、悪に加担するものは必ず裁かれます。ここでも、ヘロデは無駄な血を流すばかりでイエス・キリストを殺すという目的は達せられないまま、歴史にその愚行を記しこの世を去りました。

そして、主にあるヨセフにまた新たな啓示がありました。イスラエルのナザレに行けと言うものです。当然ヨセフは従います。突然の移動は生活を考えると大変な負担となります。しかし、ヨセフはすぐにむかいました。出来る出来ないではなく従うことによってみことばは成就していきます。そして、それは神の栄光であって、私たちはただ信じて従えばよいのです。

神からみことばの知らせがあり、それが成就したとき、証が生まれます。私たちが主からの知らせを軽んじることがないように、見逃すことがないように常に主のみことばに触れ、祈りもとめることが大切です。預言者を通して言われたことは成就するということは神様の約束です。感謝して神の時を待ち望みましょう。(N)