2010年12月27日月曜日

なぜ神の子が来られたのでしょうか ヨハネの手紙 第一 3:4~10

この世にある一番の罪は何かと問えば神の声に逆らうことです。そして、人間はアダムとエヴァの時から神に従わずに罪を犯しています。そしてその後も与えられた律法をかえりみずに偶像を崇拝するなど多くの罪を犯し続ける人類があります。

しかし、それでも人を愛し続けてくださる神はイエス・キリストを私たちにお与えになりました。イエス・キリストの流された血は、この私たちの罪を贖い、身代わりになるためのものです。ですから、イエス・キリストを救い主として心のうちに留める者はすでに罪贖われているのです。 救われているのです。 イエスを知るものは、もし、罪を犯しても必ず悔い改めることを知っています。悔い改められた罪はもはや罪ではありません。常に正しい姿でありたいと祈り求めることも同時に知っているからです。

そして、父なるイエス・キリストは子である私たちの進む道を罪から遠ざけるハンドルの役目もしてくださいます。サタンがその王として君臨する、快楽、飽食、暴力などあらゆる悪の場所から逃れられるように舵を取ってくださいます。サタンは悪であり最初から罪あるもので、神の言葉に対抗するものです。それに触れるものには、悪の種がまかれ、悪の実がなります。しかし、イエス・キリストは悪から遠ざけ、より強い信仰の種をまくことによって正しく、美しい実を私たちの中に育ててくださいます。信仰による勝利の道へ必ず導いてくださるのです。

私たちに善を求める心があるでしょうか。イエス・キリストは人の罪をはがし、悪を打ち倒し、私たち弱き者を神の姿に似たものとするために来られたのです。ですから、感謝し、日々みことばをいただき、自らの行いを、主ならどうなさるのだろうかと考えることで、姿の似たものとして一歩一歩、神の御国に近づいていきましょう。そして、その私たちの姿こそが神の栄光の現われになりますように、祈り求めましょう。(N)