2010年12月22日水曜日

待ちに待った末に受けた主の慰め : ルカの福音書 2:22~39

22 さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。

23 ―それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばなければならない」と書いてある通りであった―

24
また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。

25
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。

26
また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。

27
彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。

28
すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。

29
「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。

30
私の目があなたの御救いを見たからです。

31
御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、

32
異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」

33
父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。

34
また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対のしるしとして定められています。

35
剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」

36
また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、

37
その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。

38
ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。

39
さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。


モーゼの律法では女性は男の子を産んだ後はその流した血により、40日間礼拝ができませんでした。イエスの誕生後、いけにえの家ばとを捧げるため宮に入ったヨセフとマリアは2人の人物に出会いました。一人目はシメオンといい、敬虔で正しく、神のみわざがなされることをあきらめず祈り続けた人でした。彼がそこでイエスに出会えたことはその敬虔な姿勢の故で、常に祈り求める彼には聖霊が充満しており、神のみわざにすぐ反応できる準備が常にあったのです。そして、救い主の誕生を確認出来た彼はその正しい生涯に対しすばらしい報いを受けたといえるでしょう。

もう一人の名はアンナといいます。アンナはやもめでありました。当時のやもめとは今とニュアンスが少し異なり、清さを表す尊敬されるべき人でした。彼女はその時84歳でしたが人生を通じて一人で熱心にメシアを見たいと祈り求めていた人でした。そして彼女も幼子イエスを救い主だとすぐに知ることが出来ました。なんと言う祝福でしょうか!ヨセフとマリア、そしてイエスが初めて宮を訪れたときおそらく多くの人々がいたと思われます。しかし、その時神のみわざを理解したと聖書に残されているのはこの2人だけです。ここに、何よりも信仰により主を待ち望む姿勢の重要さを見ることができるでしょう。シメオン、アンナのように祈り、信じ、待つ事によって初めて神の働きに反応できるのです。私たちも主が必ず成されることを信じ日々祈り求めましょう。(N)