2008年12月17日水曜日

待ち続ける神!

ホセア5:1-15  イエスは弟子たちに「あなた方は世の光、塩であれ」と命じられた。それは世が堕落し腐敗しているからである。その堕落と腐敗にストップをかけるのがキリスト者であり、教会の役目である。この世に真実と誠実と主を求める心がないから、生ける神は神の民に期待するのである。何故に神の国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされたのか。祭司たちよ、神の声を聞け、心して耳を傾けよと命じた。自分のわざを捨てて神に帰ろうとせず、姦淫の霊に支配されて偶像礼拝を続けているイスラエル、エフライム、ユダとベニヤミンらの民に向かっての神の警告と審きの預言のことばである。彼らの共通した特徴は「神に期待され祝福の祈りが特別にあたえられた部族」であることだ。ヤコブから祝福の名となって今も国名がイスラエル。ヨセフのエジプト時代の子供がムナセとエフライム。しかもヤコブが最後に祝福の祈りをしたのは右手を次男のエフライムに置き、弟が全部族のリーダーとなると約束された。ユダはメシヤ誕生の約束を受け、ベニヤミンはヤコブの愛妻ラケルの子であり兄ヨセフと共に父ヤコブに溺愛された期待の子である。それが揃いもそろって高慢と不信仰な姿を神に見せている。現代における教会のリーダーに対する神の警告のことばとして受けなければならない。心ない奉仕と賛美と礼拝を捧げても神は受けない!何故か?私たちが悔い改め、罪を認め、主を心から捜し求めるまで、生ける主は「わたしはわたしの所に戻っていよう」とかたられているからだ。苦しみに会う前に、堕落する前に、主の審きを受けて泣く前に、主の僕たちよ、キリスト者たちよ、傲慢と偶像礼拝と肉の快楽の世界から愛の神イエスを探し求めよう! ハレルヤ、アーメン!     牧師 青松英明