2008年12月23日火曜日

御父の愛と苦しみ

ホセア9:10-17 神はイスラエルを選民として見ている。荒野の葡萄の木のように奇蹟の中で成長を見たのだ。またイチジクの木の初なりの実を期待した。なのに彼らは神の期待と祝福を裏切って偶像崇拝者しなった。神の前で忌むべきものとなり年中、喪中の家族となった。その家の栄光は、鳥のように飛び去った。ルカ15章での放蕩息子の姿を連想させる。特に主に期待されて祝福の祈祷を受けたエフライムに対する裁きは大きい。彼らの礼拝を受けず、むしろ神の宮から追い出すと宣言されている。彼らの子は打たれ、胎の子も殺すと神は警告されている。恐ろしい言葉の連続である。言葉を恐れることよりも生ける神の恵みと愛と守りの手がなくなることを恐れよ。私は今まで3度死にかけたことがある。いや4度あった。なのに今も生きているのは神の恵みの手があったからだ。主の守りの手と導きの手がないならば、どれほど不安な旅でしょうか。さすらい人となった私たちの人生の旅路を神なしで上手に渡りきろうとする者は愚か者である。
神のさばきの言葉を恐れるよりは、逆に、主の目に麗しい聖徒となることを勧めます。主の祝福は生ける源泉のごとくに溢れ出てきます。主の祝福の温泉にゆったりと浸かりながら信仰の旅を続けましょう!
     ハレルヤ、アーメン       牧師 青松英明