2011年2月14日月曜日

ピリピ人への手紙 1:1-11 原点は主への感謝です

ピリピはアレキサンダー王の父の名からその名をとられた、小アジアの中の大変栄えている大きな港町で、そこにある教会はパウロと最初から共に歩んできたものです。この手紙はピリピにいる信仰の仲間に対するパウロの感謝から始まります。いま、パウロは牢獄の中にいます。そして、ピリピの聖徒らはいわば、パウロの弟子に当たります。状況は悪く、相手は世の考えでは頭を下げるべき相手ではないでしょう。しかし、主にあるパウロには全てが感謝なのです。イエスこそが命であるパウロにはつながれたイエスの手となり足となり自分の分も伝道の為に働き続けるピリピの聖徒たちは本当に恵みと平安をもたらすものであったでしょう。全てに感謝!ここに、パウロの強さを見ることが出来ます。どんなことにもどんなときでも感謝できることは信仰の強さの現れであり勝利です。小さなことも大きなことも、与えられたことも、取り去られたことも、全てに感謝することが重要です。感謝には必ず愛と喜びが伴います。愛と喜びあるところに悲しみ、恐怖は存在できません。そして、その愛と喜びは祈りへと繋がっていきます。

ここでもパウロは祈ります。福音がピリピの人々の手で、広められることを。その長き伝道と宣教の働きが完成することを。それには、知識と、識別する能力をもつこと、純真で非難されるべきところがないということ、の二点が必要であるとをパウロは語ります。たとえば、与えられたみことばが自分の都合で解釈されていないか、主の為といいながら自らのことを行っていないのかなど、意識的な行為はもちろん、無意識に行っている事柄にさえ、きちんと判断を下せる能力が必要です。そして、何が本当の自由、愛、希望をもたらすのかを見分けられる力も必要になります。そして、伝える者たちが純真で、清くあること、霊的におちる事がないようにしていかなければなりません。

そして、最後にパウロは信仰の義の実があるように祈ります。私たちクリスチャン自身がイエス・キリストによって与えられた義の実に満たされ神の誉れと御栄えを表せるようになれと祈るのです。それには私たちがまず、主の愛に触れ、大いなる恵みと平安を受け取りましょう。私たちの笑顔が何よりもイエス・キリストの偉大さを表せるように、原点である主への感謝から初めて行きましょう!