2011年1月4日火曜日

信仰の実践は神に必ず守られます ダニエル書 1:1-9

ユダの王エホヤキムの治世の第3年にバビロンの王ネブカデネザルがエルサレムを包囲したとき、主ご自身によって、そこにある神の器具を敵の手に渡しました。現代の考古学者が資料として用いるほどの正確さを誇る聖書によると、その祭壇はとてつもなく高価で貴重な宝石、金属で作られていました。そして、当時の神の宮に敵の侵入を許すということは、日本の戦国時代における敵将の首を取ると同じような意味で完全な敗北を意味します。主はバビロンに支配されるという苦難をイスラエルの民に与えたのです。

この章の主人公、ダニエルはそのようなバビロン捕囚のイスラエル人の中からリーダーになるべき選ばれた一人のエリート少年でした。異教徒の王の宮廷に仕える礼儀作法などを心得ており、非常に難解であるカルデヤ文学を学べる知力と、美しい容姿。ほぼ完璧な人間であることが求められ、それをクリアーしたのがダニエルたちでした。王は彼らを奴隷としてではなくバビロン人として扱うべく新しい名を与え、王である自分と同じものを食べさせ、飲ませ、3年間の教育で洗脳しようとしました。しかし、ダニエルはこの食事を拒みました。ネブカデネザルと同じ食事ということは当時世界最高水準の食事で贅沢を極めたものであったでしょう。そして、なによりも王の与えるものを拒むことは死に直結します。とても異国の奴隷が出来ることではありません。ダニエルは主にあるものとして偶像に捧げられた異教の食物を口にすることを拒否し, いつも祈り求められるように酒に酔い汚れてしまうことを拒んだのです。信仰のため、命がけで贅沢を切ったのです。そして、その信仰に答えた神は宦官の心に愛を与え、ダニエルを守りました。主は信仰あるものといつもともにおられます。

もしあなたが今、神のために純粋に行い事があるなら、迷わずに実践するべきです。それに伴う物質も時間も必ず神から与えられます。自分でこうしようと立てた肉の計画に勝る神の御業が必ず行われ、あなたを助けることでしょう。信仰の実践こそが勝利への最短距離です。私たちは主を信頼し委ねることで安心して私たちの持っているたまものを使うことが出来るのです。今、私たちに出来ることは何でしょうか。祈りましょう。そして、実際に動いていかなければなりません。すべては主のため、喜んで今日を生きましょう。ハレルヤ!(N)