2011年1月21日金曜日

知りながらも罪を犯す愚かさ ダニエル書5:17-24

ベルシャツァルは神の指が書いた文字を読み解くために国中の賢者を呼び集めましたが誰にも出来ませんでした。そして、とうとう、祖父であるネブカデネザルの夢を解き明かしたダニエルを呼ぶことにしました。王はこの地における栄光と富を与えるからこの文字を読むように頼みましたが、ダニエルはそれを一蹴します。主にあるダニエルにとっては、それらのものは必要が無かったのです。彼の持っている賜物は神からもらった恵みであり、それを使うことこそが神の栄光を現すのです。決して、自分の利益の為に使うようなことはしませんでした。神に仕えるものと自分のために力を使う偽預言者との違いをここに見てとれます。

ダニエルはまず,なぜこの文字が現れたのかをひも解きます。祖父であるネブカデネザルに神が偉大さを与えましたが心を高ぶらせ傲慢になった為、その権力、知力を奪い去ってしまったこと、そして、最後には神の偉大さを知って、また、神が栄光を与えたことを語って聞かせました。

さらに、いまベルシャツァルに彼の行っている愚かな振る舞いも指摘します。このネブカデネザルの話を知っているのもかかわらず、心を低くしていないばかりか、主の器を使い、偶像を賛美するという行為がいかに神の怒りに触れるのかということを語ります。この文字はその神の怒りの現れであるということを伝えました。

ダニエルは神から授かった賜物を使うのに低くあり、利益を求めません。しかし、神を信じないものは自分に高ぶり、傲慢になり、結局全てを失ってしまいます。神は熱心に仕え、謙遜なものには必ず愛を注いでくださいます。自分を誇らず、柔和に過ごすことは主は大変喜ばれます。私たちが日々のなかでどうかダニエルのような清い行動が出来ますように。アーメン!(N)